1.31.2012

はじめに/uvođenje

 休業期間中、このブログで、2002年から10年間、幾度もクロアチアを訪れた私が、現地での家庭や食堂(コノバ)、クロアチア料理店「MOST」でこれまでに積み重ねてきた自分の経験、知識をレシピブログとして伝えたいと考えています。

 国章の上5つが各地方(中央クロアチア、ドゥブロヴニク、ダルマチア、イストラ、スラヴォニア)を表すクロアチア料理とは、地方料理の集合体です。このレシピブログを単に料理の作り方だけでなく、どうか歴史、文化、気候風土、土壌、そしてクロアチアワインをより深く理解して頂く材料にしてください。

 このブログの執筆が、これから続くクロアチア料理を志す料理人の糧となり、全国で「本格クロアチア料理」が食べれるようになればと考えています。

 食材は、現地での材料と日本で揃う材料を併記していきます。クロアチアのワイン、食材は、まだまだ希少で高価な為、現地の様に安くは出来ません。レシピでは、出来るだけ手作りで安価に出来る方法を記載していきます。

2012年6月25日
Haluhiko  Iwasaki

安達朋博デビュー5周年特別公演 ~ザグレブ弦楽四重奏団を迎えて~

MOSTの大切なお客様、クロアチアで学び
クロアチアの曲を奏でる王子ことアダちゃんのコンサートです!
こっちが本命(@。@)プッシュのコンサート
MOSTのお客様にもおなじみ、政府観光局のエド片山局長も出席予定です!
関東の方、是非行ってあげてください。

詳細は安達さんオフィシャルブログより転載です。

安達朋博デビュー5周年特別公演
~ザグレブ弦楽四重奏団を迎えて~
2012年620日(水)
五反田文化センター音楽ホール*東急目黒線不動前駅より徒歩7分(西五反田6-5-1)
午後6時30分開場 午後7時開演
入場料5000円 (全席自由:250名定員)
<チケットお問い合わせ>
アルペジオ音楽企画 03-3418-5344
安達朋博・窓口 ミュージック・アート・ステーション 06-6858-0084
E-mail concert-ticket@live.jp 

主催:ソフィア・アート・プランニング
マネジメント:アルペジオ企画
協賛:BIOFEEDBACKのヴェガ・システムズ株式会社
後援:駐日クロアチア共和国大使館/クロアチア政府観光局/クロアチアビジネスセンター


ヨゼフ・ハイドン : 弦楽四重奏曲第17番 ヘ長調 作品3-5
ドラ・ペヤチェヴィッチ : ピアノ五重奏曲 ロ短調 作品40 (日本初演)
ロベルト・シューマン : ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44

ザグレブ弦楽四重奏団(メンバー) 
http://www.zagrebquartet.hr 
ヴァイオリン ゴーラン・コンチャル
ヴァイオリン ダヴォル・フィリップス
ヴィオラ フルヴォイェ・フィリップス
チェロ マルティン・ヨルダン


本年は、2007年の正式デビューから5周年となり、
この記念の年にザグレブ弦楽四重奏団と共演させて頂くこととなりました。
彼らとは5年前のデビューの時も東京文化会館で共演し、5年ぶりの再共演です。
今回は大好きなシューマンのピアノ五
重奏曲の日本初演を行います。
現地メンバーとペヤチェヴィッチの作品を日本初演できますことは、大変光栄なことです。
なかなか実現できないことですので、この機会を大切に、そして楽しみに、
当日まで取り組んで参りたいと思っております。
ぜひ、お誘いあわせの上、ご来聴下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
                                  2012年5月 ピアニスト安達朋博


CONCERT, TOMOHIRO ADACHI & ZAGREB STRING QUARTET
Date : 20.6.2012 wed.
Place : GOTANDA Culture Center (TOKYO)
Time : PM6:30open / PM7:00 start
Ticket : 5,000yen
Contact : concert-ticket@live.jp / 03-3418-5344

Franz Joseph Haydn : Quartet in F major, Op.3-No.5, FHE No. 68 (spurious)
Dora Pejačević : Piano Quintet in B Minor, Op. 40 (first public performance in Japan)
Robert Schumann : Piano Quintet in E flat Major, Op.44

GORAN KONČAR (violin)
DAVOR PHILIPS (violin)
HRVOJE PHILIPS (viola)
MARTIN JORDAN (violoncello)
http://www.zagrebquartet.hr/

TOMOHIRO ADACHI (paino)
http://tomohiro-pf.jugem.jp/ 
重奏曲と、
クロアチアの作曲家ドラ・ペヤチェヴィッチのピアノ五重奏曲の日本初演を行います。
現地メンバーとペヤチェヴィッチの作品を日本初演できますことは、大変光栄なことです。
なかなか実現できないことですので、この機会を大切に、そして楽しみに、
当日まで取り組んで参りたいと思っております。
ぜひ、お誘いあわせの上、ご来聴下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
                                  2012年5月 ピアニスト安達朋博



サワークリームとカリフラワー/cvjetaca s kiselim vrhnjem(前菜 中部クロアチア料理)




材料
2個:カリフラワー
200ミリリットル;サワークリーム
少々:バター パン粉 砂糖 











作り方
1.カリフラワーを洗って、花が下を向くように容器をきれいに配置します。 
  水を注ぎ、塩を加え、カバーとカリフラワーが柔らかくなるまで煮ます。
2. 調理されたカリフラワーを取り出し、バラバラに溶かしバターとパン粉ふりつけます。
3.グラタン皿にパン粉、サワークリーム、カリフラワー、パン粉の順で材料をならべ、
4.それぞれの層は、溶かしバターとサワークリームを注ぎ隙間を埋め、最後に 少しの砂糖と塩とふりかけで味付けします。
   カリフラワーの最後の層は、パン粉を振りかけ溶かしバターを振りかけると素敵な茶色に、約30分間オーブンで焼きます。


「Copyright (C) 2010-2012
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」
 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture,
Japan Željeli bismo upoznati.
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST


吉川久子&ザグレブ弦楽四重奏団ファンタスティック・コンサート

吉川久子&ザグレブ弦楽四重奏団ファンタスティック・コンサート

MOSTに来店して頂いてたクロアチア政府観光局のエドワード片山氏が前回はスピーチを勤められたクロアチアの至宝!ザグレブ弦楽四重奏団と日本のフルート奏者吉川久子さんのコラボレーションです。

前回の記事はこちら↓
吉川 久子 ホームページ↓

コンサート詳細はこちら↓

2012年06月21日(木)
開演:18:30
神奈川県民ホール(小)
全席自由、一般¥4,500(税込) ペア¥8,000(税込)
チケットご予約・お問合せ:アルペジオ企画 TEL03・3418・5344

曲目・プログラム
●モーツァルト…弦楽四重奏曲第17番《狩》/フルート四重奏による歌劇《魔笛》より(ヴェント編)
●パッヘルベル…カノン
●マルティーニ…愛の喜び
●吉川久子…谷戸の風 他

吉川久子さんプロフィール
ソリストとしてクラシックは勿論、ポピュラー、映画音楽、日本抒情曲、子守唄、
ボサノヴァ、タンゴ等、ジャンル形態にとらわれない奏者として定評を得ている。
リラックスタイムを演出する『マタニティーコンサート』ではその草分けとして知られ、
このコンサートの開催は1000回を越える。
1993年には、秋篠宮紀子妃殿下のご臨席を仰ぎ、フルートの音色を披露。
また、チェコフィルハーモニー六重奏団、ハンガリーのギター奏者 ヨージェフ・エトヴェシュ氏との共演や
クロアチアを代表するザグレブ弦楽四重奏団との共演等で高い評価を得ている。
2010年、中国青島で海外公演を行い、日中経済文化交流の架け橋として活躍。
産経新聞、「from」[音を楽しむ]のコラム連載、つくば沿線情報誌「Sawawa」にエッセイの連載をはじめ、
新聞、雑誌にコラムやエッセイの執筆も行う。
「母と子の絆を深めるマタニティーコンサート」(新人物往来社)から初のエッセイ本を刊行、
フルートを奏で伝えたいこと、活動の様子、音を楽しむ心など、
吉川のフルートの世界を垣間見ることのできる本として評価されている。鎌倉ペンクラブに所属。
近年、ディナーコンサートを始め、大学、講演会での講義や執筆活動等活動の場をますます広げ、
各界で幅広い支持層がある。


「Copyright (C) 2010-2012 
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」  

 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。  
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture, 
Japan Željeli bismo upoznati. 
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST 

クロアチア料理概論/Hrrezime od Hrvatska Kuhinja

クロアチア料理をひとくくりに説明することは難しいです。
日本人には、全然イメージが無い為、店に来るお客様まで
「何を食べさせられるの?」と言う方も多くおられました。

そのことは、私にとっては凄くストレスであり、同邦として
クロアチアに申し訳なく思っていました。

店では、お客様にストレス無く、楽しくクロアチア料理を感じて頂く為に、
周辺国の料理を用いて、「イストリアは北イタリア料理に近く
、ダルマチアは南イタリア料理に近く、中部クロアチアは、
ドイツやハンガリー料理に近く。。。」といった説明をしていました。

でも、本音は韓国や中国料理で日本料理を説明しているようで、
差異のわかる私としては本当にクロアチアに申し訳なく思っていました。

クロアチア料理は地方料理の集合体ですが、各地方料理の本質を
理解するには歴史、気候、地理、文化、宗教などの理解も必要になります。
各地方の特色を理解することで、これから掲載するレシピを各地方の献立と
して再現したとき、各地方の食卓のハーモニーが、クロアチアの風が食卓を
流れることでしょう。

クロアチアの歴史と料理


クロアチアでは、自国をバルカンでは無いと言う意見が強いです。実際、クロアチアは
中世以降、ヨーロッパとオスマン帝国の境であり、歴史的にみるとヨーロッパの側で
あったと見る方が正しいと思います。ただ、食文化や言葉と言う意味では
旧ユーゴ圏のバルカン諸国と共通の文化を持つことは確かです。



「先史時代」
クロアチアの歴史は、先史時代 に遡ります。バルカン半島における最古の人類はクロアチアのシャンダリャ洞窟で発見された人の骨や歯は中期更新世前半で、アウストラロピテクス群に属する最古のヒトのものです。さらに中期石器時代にはネアンデルタール人の遺跡がクロアチアのクラピナでも洞窟遺跡が発見されています。後期旧石器時代の遺跡も多く。前6500年ごろには農耕・牧畜が西アジアより伝播し、前5000年頃までにクロアチアを含むバルカン全域に普及しました。
そしてアドリア海沿岸部ではダルマチアを起源とするインプレッソ土器文化(貝殻を押し当てた装飾土器が特色)が発達されています。

「古代ギリシャ~ローマ時代」
古代ギリシャ(BC12世紀頃)、旧ユーゴスラビア周辺と同じ地域にはイリリア人が青銅~鉄器時代に至る文化を保持しながら定住していました。そして紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王によって征服されることとなりましたが、アレクサンドロス大王死後、イリリア地方にはローマが進出、紀元前2世紀に属州となりました。ローマ支配下のイリリア地方はローマとの文化的、経済的交流が活発で、ローマ帝国最強の軍団の提供を行ったり、クラウディウス・ゴティクス、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスなどの英才がイリリア出身であったとされています。
イリリアとは、ギリシャ語で「北に住む人」と言う意味でHVAR島にはギリシャ人の入植跡と区画整備された農地が残っています。

イリリア人の入植地

つまりクロアチア地域ではギリシャ人がワイン、オリーブ、(硬質)小麦、ガルム(gáron)と言う魚醤の栽培・生産を持ち込み、ローマ時代に入るとワインの酢の酸味、ハチミツで煮詰めたブドウ汁、干したイチジク、プラム、レーズンの甘味(甘酢調味料)が広まりました。これは、トマトが出てくるまでは、大変重要な味付けでした。このことは、クロアチアの甘酸っぱい野菜の煮物料理として各地に残っていて、一つの特徴となっています。ハム、サラミ、豆や穀類などの生産も行われていました。また、ローマの貴族となったイリリアの貴族は、ローマと同じような前菜、オリーブやハム、サラミ、豆類の煮物といった現在と同じくらい豊かな食生活をしていました。また、沿岸部では薄いパン(現在のボスニア風パンに近いもの)を焼いていたようです。魚介類も多いに食され、スズキ、タイ、、ウニ、カキ、タコ、イカなどが多いに食されました。肉は豚肉が中心で、牛肉は農耕用として使われる為、食用にすることは禁じられていました。(使役に使われなくなった牛や育てるのには数が多すぎた仔牛は例外として食されていました。)
AC:286年になると、ダルマチア出身のヴィオクレティアヌス帝がローマ皇帝になります。スプリットに宮廷を移しました。彼は軍事、政治手腕に優れ、膨張し統治が難しくなった領土を4分割し、4人の皇帝と4人の副皇帝を配してを統治させ広大な領土を統治しました。そのころのクロアチアは、イリリアの他にダルマチアとパンノニア(現在のスラボニア、セルビア、ボスニアの一部)が勢力を増し、ダルマチア、パンノニアに領土を2分割しました。


ヴィオクレティアヌス帝時代のクロアチア

ヴィオクレティアヌス帝の死後、ローマは北方他からの侵略を受け、東西ローマに分かれ、
ダルマチア以東は東ローマ帝国となります。紀元6世紀半ばになると、北東からモンゴル系のアバール人の進出が始まり、ビザンツ帝国はクロアチア人・セルビア人をダルマチア方面に入植させます。この移動が西スラブ、南スラブ、東スラブの分離であったとの歴史的な見方もありますが、クロアチアは、いまだダルマチア、パンノニアに分かれていました。
北スラブ:薄緑、緑:東スラブ 紺:南スラブ

9世紀のキリスト教の布教がクロアチアの地方性をより強くしたのかもしれません。当時のキリスト教は、ローマカトリック、それに属するフランク教会カトリック、コンスタンティノープルの正教の三つ巴の勢力が競い合っていた。正教はグラゴル文字を用い布教を行い、フランク王国のカール大帝がダルマチアに進出した際、フランク教会を通じてカトリックを受け入れました。その前からスラブ語の経典が使われていましたが、ドブロブニェクに大司教区が設置されラテン語経典が広まりました。しかし、ザダル地方のニンの教会を中心にスラブ語経典も広く用いられました。このことは、現代にも続くスラブ語とラテン語経典の正当論につながります。

統一国家 クロアチア

フランク王国の進行に対抗してビザンツ帝国もクロアチアを領土にしようと進行して来たのが紀元800~870年代ですが、その頃になるとフランク王国の制度を取り入れたクロアチア人勢力が台頭し、初代クロアチア公トルピミル1世が出現、フランクの諸制度を導入し、。ダルマチア・クロアチア公となったヴラニミルが登場したことによりクロアチア統一が進み、ビザンツ帝国から逃れて、879年にローマ教皇に独立国家として承認されたことで、フランク王国からも独立しました。さらにニンの長 トミスラヴ1世 がフランク王国やマジャール人、ブルガリア人らを撃破するに至り、924年パンノニア及びダルマチアは、クロアチア人の統一国家が出来ました。日本でいう平安時代のことです。しかし、トミスラヴ1世が928年に死去すると後継者争いがおこり、1076年からはローマ教皇がクロアチアを支配しました。そのため、縁戚関係にあったハンガリー王ラースロー1世が裁定を依頼され、さらに1094年にはザグレブに司教座を開設。ラースローの後継者であったカールマーン1世の治世となり、ハンガリー王位継承後、1097年クロアチアを占領、1102年にはクロアチア、ダルマチア王位も兼ねることとなりました。これ以降、クロアチアはハンガリーの支配下となりました。ただし、カールマーン1世はクロアチアの自治を認めたていた為、クロアチア人貴族から「太守」が任命されていました。一方、ダルマチアにおける港湾都市はヨーロッパとアジアを結ぶ要衝であったため、ビザンツ帝国とベネチア共和国の勢力が争っていました。ザダルはヴェネツィアの勢力下となっていました。そして、幼少期をビザンツ帝国で人質として過ごしたベーラ三世が即位すると、ダルマチア、ボスニア地域を征服し統一が成されたが、ベネチア中心で十字軍の遠征が始まり、またもダルマチア域はベネチア支配下となってしまいました。このあと一度はダルマチア北部を奪還しますが、1241年ベーラ4世の時代にモンゴル帝国の大遠征があり、ハンガリー王はダルマチアまで逃れてハーンの死で遠征が収まり、辛くも領土を奪還しました。特質すべきはドブロブニェクで、ハンガリー、オスマン帝国のいずれの治世でも独自の外交(税金を収めるなど)を展開し、戦火を逃れて反映をし続けました。

2大帝国時代(オーストリア・ハンガリー帝国とオスマン帝国の支配)
1400年代に入るとクロアチアにもオスマン帝国が進出しだし、1409年にはダルマチアがその勢力下に至り、スラヴォニア地域も奪われ、クロアチア人の多くはイタリアやハプスブルグ領内に逃げ込みました。その跡地に、ボスニアからの多くの避難民が逃げ込みました。その後もオスマン帝国とハプスブルク(オーストリア・ハンガリー)帝国の国境線としてクロアチアは位置することになり、ハプスブルク帝国がダルマチア北部からスラヴォニアを「軍政国境地帯」として直接統治を行いました。それに合わせ、17世紀から18世紀にかけてコソボ地域の多くのセルビア人らがスラヴォニアへ国境警備兵として入植、これは「大移住」と呼ばれ、このことが後に「セルビア人問題」を生じることとなりました。(1991年にクロアチア紛争を勃発させることとなります。)
17~19世紀は、ハプスブルク家の台頭に伴う、中央ヨーロッパ包囲網の先方としてクロアチアはキリスト教世界の防人としての軍事的最前線に位置し続けます。料理の世界で言うとこのオーストリア、ハンガリー、オスマントルコの支配がクロアチア料理の一つの特徴になります。ローマ、ギリシャ的であったクロアチア料理が、ハンガリーの影響で粉末パプリカを多様することになり、パプリカッシュ、グラーシュと言った料理を日常食にしました。又、オーストリアの影響でソーセイジ、ベーコン、シュテューデルと言った菓子類、トルコの影響でケバブやチェバプチチ(皮なしケバブ)、サルマ(ロールキャベツ)、ブレク(パイ)、ピッタ(菓子)などが日常食となりました。この時代までは、貴族の料理と庶民(漁師や農夫)の料理は別々だったようです。

近代~現代


近代になると、ヨーロッパ各国の近代統一国家の波がクロアチアにも訪れ、ユーゴスラビア王国が生まれます。2次大戦以降は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国としてクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア、セルビア、マケドニア、コソボ、アルバニア、モンテネグロが連邦国家になります。歴史書を書いている訳ではないので、その間の歴史より料理に関して言うと、ユーゴスラビア(南スラブ人の国)になって一番の出来事は、べゲタの登場です。ベゲタ(Vegeta)は香辛料と数種類の野菜を混ぜあわせた調味料で、1959年にボスニア・ヘルツェゴビナ系クロアチア人の科学者のズラタ・バートルが開発して、世界中で販売される商品です。クロアチアのコプリヴニツァにあるポドラフカ社が生産しています。ベゲタの原材料は塩 、乾燥野菜 (ニンジン、パースニップ、タマネギ、セロリ、パセリ) 、旨味調味料 、砂糖、香辛料、着色料で共産圏各国他、全世界40カ国で発売されるヒット商品となりました。何よりポドラフカ社がユーゴスラビア連邦全土で料理番組を放送しだしたことで、ユーゴスラビア料理と言われる食文化圏を形成させました。


ユーゴ時代と言うのは、いい時代だったようで、多くのクロアチア人の友人がその時代の祭りや色々なことを懐かしんで話します。

1960年代になると戦後の復興が進み、共産圏の人たちの中でバカンスを楽しむ人も多くなります。西側に行けない時代ですから、ポーランド、チェコ、ソロバキア、ハンガリーといった国々の人達もクロアチアの海に行くことになり、ホテルでインターコンチネンタルスタイル(誰でも受け入れられる)料理が必要とされ、求められるようになりました。また、貴族の料理をベースにホテルの料理は形成されましたが、一方でソベ(民宿)、コノバ(食堂)と言った庶民の料理を出す店も多く出来るようになり、クロアチアらしい料理、より地方性の強い料理が注目されだしたのもこの時代です。

1990代に入るとユーゴスラビアは各国が分離独立をしてクロアチアには90年代後半から西側の富裕層がリゾートに訪れるようになりました。また、クロアチアとして独立したことで、2000年代に入るとクロアチア料理の専門書、各地方ザグレブ、中部クロアチア、ダルマチア、イストリア、スラヴォニア料理の本(英語、イタリア語、ドイツ語版も出版)が発売されクロアチア国内でもより地方性を細分化した料理の研鑽がなされる様になりました。
冒頭述べた様に、クロアチア料理は各地方料理の集合体であり、古代ローマ、中世、近代の歴史上、多くの人々が定住出来ず大移動を繰り返したクロアチアは、地方によって全く味付けや料理が異なります。ザグレブはハプスブルク家の支配が強まった1800~1900代に拡大した街でオーストリア料理の影響が色濃く残っています。イストリアは北イタリアの影響が色濃く、クロアチア全土で作られるラキアと言うバルカン伝統の酒もイストリアだけグラッパが主流です。ダルマチアは、

レシピブログのサイトに登録しました

レシピブログのサイトに登録しました。


http://www.recipe-blog.jp/profile/62368

観て見て下さい。

「Copyright (C) 2010-2012 
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」  

 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。  
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture, 
Japan Željeli bismo upoznati. 
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST

アンティチョークとお豆の煮込み/Artičoki na tradicionalan način(前菜)ダルマチア料理


伝統的なアーティチョーク料理です。

材料
4本:アンティチョーク
 250グラム:そら豆
 250グラム:エンドウ豆
3欠け:ニンニク
少々:胡椒
少々:パセリ
少々:塩
少々:コショウ
 少々:オリーブオイル
 パン粉1カップ
パルメザンチーズ、大さじ4杯

1.アーティチョークをカットします。花の部分を取ってください。葉に沿って、そっと手の葉を広げるように、
  広げます。茎と周りの不純物を取り、約1時間冷たい水の中に浸します。

2.そら豆とエンドウ豆は清掃し、塩水に一晩さらしておきます。

3.アーティチョークは余分な水を除去し、数分間布の上に逆さまにしてよく水切りしてください。
  あわてず、乾かしてよく振ります。

4.花を取った部分に、パン粉、パルメザンチーズ、塩、こしょうをボウルで混ぜ、ニンニクとパセリをみじん切りにしてさらに  混ぜます。くり貫いた花の部分の大きさによるのでパン粉、パルメザンチーズは調整してください。

5.詰める時は、先をシートを広め、注ぐように4の具を詰めます。8分目で止めないと膨らんで飛び出します。
  完成が花のようになるように、途中まで詰めるのがポイントです。

6.チョーク、エンドウ、ソラ豆を鍋に入れ、チョークは頭がつかる程度に水を入れます。

7.沸騰したら、塩加減をここで確認(少し薄いスープくらい)、エンドウ豆が柔らかくなったら火を強めましょう水気を飛ばし ましょう。

10.外側のアーティチョークの葉はやわらかいのです。フワーとした感じです。他の前菜、プルシュトやバターと食べても追  いしので、あまり塩をしすぎないのがポイントです。

市場では、紫、緑、おおぶりなのから、ちっさいのまで、お好みのアンティチョークを使ったアンチィチョークを楽しんでください。あまりちっちゃい時は、具とお豆を外で炊き込みましょう。
































参考レシピ/ http://www.coolinarika.com/

「Copyright (C) 2010-2012
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」
 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture,
Japan Željeli bismo upoznati.
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST

蛸のサラダ/salata od hobotnice(前菜)

salata od hobotnice(蛸のサラダ)は、ダルマチアの定番のサラダです。

材料
5人前
蛸 1.5kg
玉葱100g
ジャガイモ5-6個
ニンニク4-5片
酢60ml(ワインビネカー 無ければ穀物酢)
オリーブオイル100ml
パセリみじん切り 大サジ2
塩 少々
胡椒 少々





作り方
1.柔らかくなるまで水でタコのボイル(足は分離されていない状態で)
2.茹で上がったら、裁断し、薄い膜をきれいにします。
3.ボウルに、オリーブオイルと酢を入れ、塩茹でしたジャガイモと玉葱、にんにくと
タコを投入、塩とコショウで味を調え、冷蔵庫で1時間半以上寝かせます。
4.最後に、お皿に盛り付けてパセリのみじん切りを振りかけます。



「Copyright (C) 2010-2012
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」
 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture,
Japan Željeli bismo upoznati.
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST

クロアチアチャートTOP10/HR TOP10

MOSTでは、クロアチアで人気のアーチストの曲をBGMで流しています。

U MOST,
BGM je tekla u popularnoj glazbi umjetnika Hrvatska.



HRT © Hrvatska radiotelevizijaの


今週のクロアチアチャートTOP10です。
http://www.hrt.hr/hr/top20/domaca_lista.html
▲は前週からUP,▼はDW,●は前週と同じ,NEWは初チャートIN





NEW▲1.NINA BADRIĆ – DAT ĆE NAM BOG


▲2.IGNOR – BIO SAM KLINAC


▲3.POSTOLAR TRIPPER – BURZA RADA


▼4.A ZAR JE TO VAŽNO – JA SE DOBRO OSJEĆAM


▼5.NEKI TO VOLE VRUĆE – PROĐI ISPOD MOJIH PROZORA


▲6.MARIO HULJEV – HAJDE PUSTI BRIGE SVE


NEW▲7.GENERAL WOO feat. IVANA HUSAR – NIŠTA SE NE MIJENJA


NEW▲8.OLIVER DRAGOJEVIĆ & STJEPAN HAUSER – NOCTURNO


NEW▲9.LUKY – DJEVOJKA ČUDNIH OČIJU


▼10.KOM3DIJA – KAJ TE BRIGA





クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。


大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト

Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture,
Japan Željeli bismo upoznati.
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST






ザグレブ風スープ/ Zagorska juha(スープ:ザグレブ料理)


マッシュルームを使った少し濃いめのスープです。
飲むと言うより食べるって感じです。
家庭ごとに味、レシピは違います。
お豆やレバーを入れる家もあったりします。
このスープの決めては、ベーコンやプルシュートをイイのをフンダンに使うことです。
抜群に美味しくなります。

材料)4人分
乾燥肉の15グラム /ハム25g /燻製ベーコン50g / マッシュルーム 10個/タマネギ1 個
ジャガイモ 1~2個/新鮮なトマト1個/ コショウ少々/ 大さじ1 小麦粉/ サワークリーム150g
パセリ 少々/ オリーブ油 大さじ5 /塩とコショウ/パプリカ大さじ2/

温かいオイルを大さじ3 で玉ねぎ炒めます。
小さなキューブにカットした、乾燥肉、ハム、ベーコンを追加します。
その後、パプリカ、マッシュルーム、トマトのスライスを追加します。
すべて一緒に、10 分煮ます。
お湯を注ぎキューブに切ったジャガイモを柔らかくなるまで煮ます。
それを上記鍋に追加します。

スープに小麦粉でトロミを付け、油大さじ1、塩、胡椒で味を整えクリームを混ぜます。
最後にパセリのみじん切りを振りかけ完成です。

「Copyright (C) 2010-2012 
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」  

 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。  
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture, 
Japan Željeli bismo upoznati. 
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST 

ザグレブ風カボチャケーキ/ Zagorska bucnica(前菜:ザグレブ料理)


シットリ系の焼きケーキ、前菜でよく出て来ます。

材料)4人分

小麦粉 500g /コーンミール150g /卵  3個
/油小さじ2 / 塩小さじ1 /水 少々
バターの5 グラム / 1/2個のすりおろし(細く短冊にした物も多い)かぼちゃ
/グラノラなど雑穀1カップ/ホウレン草

仕上げ/粉糖少々

上記の材料を(ホウレン草は、塩茹し、みじん切り)混ぜます。上記の材料にをクッキングシートを
引いた長方形の焼き型に入れて180度のオーブンで焼き、冷まして少し置きお好みの大きさにカットして食します。

お好みでヨーグルトを掛けても美味しいです。























「Copyright (C) 2010-2012 
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」  

 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。  
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture, 
Japan Željeli bismo upoznati. 
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST 

ザグレブ風チーズ入りシュトゥルクリ/Zagorski štrukli sa sirom(前 菜:ザグレブ料理)


ザグレブのホームパーティーでよく出てくる名物です。
パスタの分類に入るのですが、
薄ーく伸ばしたパイ生地に近いものです。
下のビデオの様に作ります。
ブレクに似ていますが、少しシットリした感じです。
美味しいザグレブの前菜です。

材料)4人分

(生地と中身)
生地は難しいので、家庭で作れるように
市販パイ生地150g
/サワークリーム150g /クリームチーズ(フレッシュチーズがベスト)

(ソース)
卵3個/コーンミール大さじ5杯
ソース:サワークリーム150g /卵1個




①パイ生地を広く伸ばし、上記の材料を順番に少しずつボールで混ぜます。
シットリした感じになりますが、それでOK です。
伸ばしたパイ生地に混ぜた材料を広げます。
幅4~5cm 程になる様に巻き込みます。
さらに10~8cm 幅でカットして、
グラタン皿などに並べます。
②よくかき混ぜたソースを表面に塗り、180度のオーブンで40分焼き出来上げます。

ポイント!
加熱時間はオーブンにもよるので何度かチェック。
チーズの塩加減も色々なので何度か混ぜて味見をしてください。塩っぱいザグレブの肉料理の箸休めなので、さっぱりめが良いです!MOSTでも団体さんの前菜でよく焼きたてを出していました。

「Copyright (C) 2010-2012 
クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」  

 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。  
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture, 
Japan Željeli bismo upoznati. 
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST 

パプリカシュ(チキンのパプリカのクリーム煮込) Pileći paprikaš ザグレブ、国内全域



クロアチアでは、良く食べる定番料理です。豚の胃袋などを具にした店もあります。
ここでは、MOSTオリジナルレシピです。

材料 8人分

お米:3合
オリーブオイル 少々
塩 少々

トマト水煮240g:2缶
牛乳:500ml
砂ずり;200g
鳥胸肉:300g
小麦粉:50g
サラダ油300cc
サワークリーム:80g
玉ねぎ:大きめ2個
じゃがいも:2ー3個
ローリエ 葉:3枚
粉末パプリカ50g
生クリーム 少々
塩:少々
パセリ:少々

作り方
お米は洗わず、さっと流水に通し白米を炊く目安より少し少なめの水にして
うっすら塩っぱいくらいの塩とオリーブオイルを入れて炊飯器で炊きます。
ちょっと固めで塩味の聞いたオリーブライスが出来ます。

鶏胸肉は1.5cm幅くらいに切り、お好みでサイコロ状か短冊に切ってください。
鳥は揚げ焼く要領で表面をよく焼いておきます。次に
砂ずりは1cm幅くらいに細かく刻み、衣を着けて油で揚げ焼きます。ずりは匂いがあるので
余分な水分が飛び散りカラカラになるくらいまで揚げ焼きます。

圧力鍋にオリーブオイルを敷き、玉ねぎのみじん切り、ジャガイモのさいの目切りを入れて焼きます。火が通れば、揚げた鶏肉を加え、カットしたホールトマトと牛乳、ローリエの葉を加え、塩とパプリカで味を整えます。

30分ほど煮てからサワークリームを加え、かき混ぜます。

皿にライス、パセリを振りかけ、パプリカッシュを掛け生クリームを掛けたら完成です。

このソースはペンネやフィットチーネなどにも使えるのでお勧めです。

Dobar tek!(ドバルテイク(^^)召し上がれ♫)
















「Copyright (C) 2010-2012 


クロアチア料理 新町モスト /shinmachi MOST All Rights Reserved.」  
 クロアチア家庭料理、文化を日本に伝えたい。  
大阪 新町 クロアチア料理 新町モスト
  Hrvatska kuće za kuhanje, Hrvatska  kulture, 
Japan Željeli bismo upoznati. 
Shinmachi Osaki/Hrvatska kuhinja shinmachi MOST